純粋詩

Champriaのキーワードに ”純粋” というのがあるんだけど。実に抽象的すぎて、とらえどころが無いイメージだったりする。いろいろ検索していたら”純粋詩”という単語に行き当たった。

太字にした部分、今後のヒントになりそうで、覚え書きとして残しておこう。


純粋詩(じゅんすいし)[ 日本大百科全書小学館) ]la posie pure [フランス語]

基本的には詩から詩以外の要素を排除するという詩観で、マラルメの詩論『詩の危機』や、バレリーがリュシャン・ファーブルの詩集『女神(めがみ)を知る』のために書いた序文で一般化した。

1925年1月、歴史家でありまた批評家でもあるアンリ・ブレモンが「純粋詩」に関する講演を行い、いわゆる「純粋詩論争」が起こった。ブレモンはその論旨を、ポーの詩論や、ペイターの「あらゆる芸術はつねに音楽の状態に憧(あこが)れる」という音楽説によりながら展開したが、ブレモンの反知性主義は批評家チボーデの反論を浴びた。

ブレモンによって純粋詩の詩人とされたバレリーは、論争に直接参加はしなかったが、自分にも「いささかの責任のある」ことを認め、間接的に参加した。

しかし、前記の『女神を知る』の序文や、彼の講演「純粋詩」によれば、詩は主知的な構成を第一とし、純粋詩はあくまでも詩の立場を守る絶対詩la posie absolueに置き換えらるべきもの、というのがバレリーの立場である。

今のところ、”てやんでぃ、男の純情みせてやらぁ、純情芝居の幕開けだぜぃ!!”とか勝手に鼓舞してみたりもするんですが。